映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入が日本一になったということで話題になっていますが、皆さんはすでに観ましたか?
私は、じつはあんまり…どころかまったく興味なし。
でも、
これだけ大ヒットを飛ばすからには何か学べるところがあるはず!
エンタメ作品は、ブランドビジネス、コンテンツとしてはハイレベルですので、これは研究材料にするしかない!!と思い直し、映画館に向かいました。
結論から言うと、観に行って良かったです。
興味や関心などは脇に置いておくことにして、ヒット作から学べるところは盛り沢山です。
しかも興味ないからこそ、一歩引いて冷静に観察できたりします。
ということで、劇場版・鬼滅の刃の大ヒットとビジュアルづくり(アートワーク)をデザイン的な視点から解説します。
休日の真っ昼間のシネコンはめちゃめちゃゆるい空気感が漂っていました。
親子連れ、カップル、友人や仲間とわいわいがやがや…
幅広い年齢層に人気と言うことだったので、なるべく平均っぽい場所を選んでみた次第です。
席に着くなり隣から、「俺、4回観たけど最後が一番よかった…」みたいな声が漏れ聞こえてきます。
私はアニメ版は数本見たものの、予習無しのまっさらな気持ちでの鑑賞だったので、どんな仕掛けがあるのか、心なしか期待が膨らみます。
一般的に原作が別にある場合は劇場版を最高レベルにする
劇場版・鬼滅の刃の原作は漫画です。
漫画がアニメ化されて映画化されています。
実写ではないので、ファンタジーの中に存在するリアリティを楽しむ類のエンタメ作品です。
シナリオ自体は非常に単純でストーリーの一部のエピソードを切り取った形で展開します。
そのため普通に仕上げると、アニメ作品との違いが認識しにくく映画としての価値が出ません。
アニメが映画化される際には、世界観にリアリティを持たせる=最上位の位置付けにするのが一般的です。
映画ではアニメよりもフレーム数を増やしたり、CGを使ってより精緻な動きや空間を演出したりして、背景と登場キャラクターを同じ空間に馴染ませるようトーンを工夫して世界観を統一します。
そして、世界観を統一するのは、手間と時間そして何より費用がかかるのです。
漫画で人気が出たら、アニメ化してテレビ放映によりさらにファンを増やします。
ここで人気が出れば、映画化しても固定ファンの来場が見込めるので、お金をかけて映画化をしたとしても、興行収入で制作費が回収できると考えます。
とはいえ制作費は抑えられるものならなるべく抑えて、集客にお金をかけた方が収入が増えます。
鬼滅の刃では世界観の統一がされていませんでしたが、ショボい感じにはなっていません。
むしろファンにとっては、アニメ以上の迫力で一つのエピソードをじっくりと見ることができて、感動ものだったのではないでしょうか。
つまり、劇場版は見事に鬼滅の刃の最高レベルとして評価されました。
世界観を統一してない「ばらばらなのに」です。
しかもほとんどの観客は、そこまで気づいていないと思います。
なぜなら制作費を抑えながら最高レベルの演出をするためアートワークに工夫があるのです。
※実際には、作品そのものより集客にお金をかけているのかどうか知りませんが、そのように予測します。
いずれにせよ世界観のビジュアルをつくることに成功した好例と言えるでしょう。
では具体的な手法を解説します。
世界観を統一せずに違和感を残すビジュアルづくりの手法
鬼滅の刃はすでに漫画やアニメで評判を得ているので、作品の持つ雰囲気をそのまま映画にしてもイメージダウンにはなりません。
むしろファンにとっては馴染みのある表現で親近感を持つことができるでしょう。
実際アートワークで使われていた手法はどんなだったかというと、
- 作品の原作が漫画なのでそれを生かした漫画的手法
- 違う世界観を一つにまとめるアートの手法
です。
漫画的な手法としては、シーンの切り替えをコマ割りの感覚でつないだり、リアリティの描写レベルの異なるものの組み合わせをしています。
このようなつぎはぎの手法は、アートの世界でも良く使われており、そこには明確な意図があります。
さらに絵画と違って動画には時間軸があるので、違う表現を繰り返し使うことで統一をはかることができます。
それぞれ別の手法=世界観の違う複数の描写を、再構築して新しいビジュアルの表現をつくりだしています。
原作が漫画であることを意識しているのか、もしくは漫画→アニメ→映画と見る順番にあわせて企画をしたのか真意はわかりませんが、さりげなく違和感を与えることに成功しています。
漫画やアニメを観た後に映画をみた人には、ほとんど気づかれることなく、自然な演出がされています。
漫画的手法①:文字を情景の中に入れて説明する
上述したようにシナリオ自体は、全体のストーリーの一部からエピソードを抜き出した形式でまとめているので、単純明快です。
非常にシンプルでわかりやすい内容ではあるものの、夢の描写や感情などの少し抽象的な情景と現実世界との切り替えが頻繁に起こり若干の混乱も引き出しています。
夢のシーンにいるのか?現実世界にいるのか?
どちらの世界にいるのか、最初は情景をはっきりと切り替えていますが、次第に混乱させるようなストーリーに合った描写方法を取っています。
この情景の違いを見せるために使われている手法の一つが、
夢のシーンに文章を書き加えて説明する
というものです。
通常の現実世界に、文字は浮かんでいません。
夢の中では、情景の中に縦書きの文章がゆらゆらと現れます。
漫画の手法そのままにビジュアルだけで不足した情報を文字で補います。
文字を使うと、作者の意図をそのまま説明によって伝えることができます。
映像にした時に文字をビジュアルの中に入れ込むような手法をとることはあまり見かけません。
鬼滅の刃では、ファッションの一部として文字を使っているので、情景に文字が現れることに、あまり違和感がありません。
瞳の中に描かれた文字や体に刺青のように描かれた文字はファッションの要素が大きいですが、夢の情景に現れる文字は、夢のシーンとして認識させるための演出の一つです。
漫画的手法②:シリアスな場面にふざけたシーンを挟む
ストーリーは鬼との戦いが中心で、緊張感のあるアクションシーンがほとんどを占めています。
ずっとアクションシーンが続くと、観ている方は結構疲れますよね。
そういうシーンの合間に、突然コミカルなシーンを挟み混んでますが、これもコマ割りでシーンを切り替える漫画的な手法です。
我妻善逸の感情を、基本の絵とはまったくトーンの違うギャグ風の表現で度々挟み込んでくる手法は、手塚治虫の漫画に登場するヒョウタンツギを思わせる表現です。
この表現は「シリアスなシーンであえてふざけてしまう」という手塚治虫先生の独特なセンスです。
観客の緊張感を取り払うために、このような手法を取り入れているようですね!
特に、幅広い世代からの支持を得るためには、極端に怖いシーン、気持ち悪いシーン、残忍なシーンを避ける配慮が必要です。
まったく違う世界観を間に挟むことで、「フィクションだから怖くないよ」ということを軽く伝えて楽しんでもらうという効果があります。
従来だったら一気に観客を引き込もうとしますが、あえてそれを避けたところにもヒットの要因があります。
- 目を背けたくなるような本当の現実の辛さから観客を開放するエンタメの役割
- 現実から目を背けずに進んで行こうという作品のメッセージ
これらの相反するメッセージを共存させる試みは、しっかりと時代の空気をつかんでいますね。
実際に一番人気のキャラクターは、主人公の炭治郎ではなくて我妻善逸ということです。
異質のものを組み合わせるアート的手法
鬼滅の刃では、漫画的な手法の他に異質なものを組み合わせて一つの作品にまとめ上げるアート=コラージュ的手法も散りばめられています。
コラージュ(仏:collage)とは、フランス語で、貼りつけや糊づけを意味し、一つの画面に色々な素材を集めて貼り付けるような技法のことです。
鬼滅の刃では、夢と現実の境界を混乱させるような場面もあり、作品のコンセプトとコラージュ技法のコンセプトが一致しているのも面白いです。
文化的背景を探ってみるのも結構面白いですね。
まとめ
この記事では、鬼滅の刃のアートワークについて、デザインの視点から解説してみました。
アートの手法の歴史的な背景を知ることで組み合わせ方や、アートを通して伝えようとするメッセージが、時代のトレンドを感じさせます
「統一しない」というのも、なんとなくではなく狙って制作されたものです。
そもそも、アートとは「作為」、つまり誰かをどこかに誘導しようとする意図が含まれているということです。
なんとなくばらばらなものを組み合わせただけでは、このような視覚効果を生み出すことはできません。
また今回紹介したアートの手法は、制作費を抑えるために使用することもあります。
実際の制作費の内訳はわかりませんが、そこも考えてこのような表現をつかったのだと考えると、なかなか完成度が高い、大ヒットして当然の作品とも言えます。
鬼滅の刃のアートワークからも、物質性と精神性の共存や旧来の価値観から新時代への転換のメッセージを伝えようとしているのかもしれません。
劇場版・鬼滅の刃のアートワークを通して、
- 世界観の統一を外すことで、違和感を与え興味を引く
- 異質なものの組み合わせで異なる次元の世界観を共有させる
というメッセージを受け取ることができたのではないでしょうか。
アートワークを読み解くことで、なんとなく観ていた情景の意味が理解できると、より一層作品を楽しむことができますね!
参考になれば嬉しいです。
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